山口県の上関町、海峡の町である。
かっては、栄えた。その理由は、地形的に海の要衝だったからであった。
瀬戸内海の海運がさかんな時代、というより船を使わねばならなかった時代には、どの船もここへ
立ち寄った。
古くは、遣唐使船が瀬戸内を海路として入唐するとき、熊毛の津に立ち寄ったのが、上関室津と
されている。飛鳥奈良時代には、もうここは認知されいたのだ。古来、竈関(かまどのせき)と、
いわれたともしているが、大内氏がこの地方を支配するようになって防長三関を設けたということから
16世紀には、相当数の船が通っていたと思われる。

その頃は、帆船であり風待ち港としての役目もあり、人が集まり、物流も盛んになった、江戸時代に
なると、朝鮮通信使や大名の参勤交代・北前船の寄港地として繁栄した。
明治時代になって、山陽鉄道が敷設されてからの交通手段や物流は、海から陸に移っていき、
上関のみならず、瀬戸内海のこうした性格の港は、寂れてゆきます。
周南市 東郭

この日(3月9日)の上関の海は、穏やかであり、水面は鏡の如しでした。
《上関城山歴史公園より》

あさ、酷かった黄砂も次第に収まってきました。

ウミネコが飛んでいます。


この船は、上関大橋をくぐってやってきました。
《上関港より》

この船は右にかじをとり、室津側に行っています。祝島と柳井往復の巡航船です。

真ん中の大きな建物は、上関海峡温泉「鳩子の海」です。

上関港の岸壁から海を覗くと魚がたくさん泳いでいます。

この群れは、20cmくらいですが、魚名はわかりません。

ウミネコは、海に浮かんで悠然としていました。

後ろの山は、皇座山でしょうが、風力発電の風車がたっています。

岩壁からは、相変わらずおおきな魚(アジ?)がみえます。

スズメダイも少しいましたが、これは違うようです。
浪で屈折して、さかなが曲がって写ってしまいました。

この時季、ボラが群遊しているのをみかけますが、ボラではなさそうです。
岸壁では、釣り人も竿に鈴をつけて、置きざお4本くらい出していました。
ちょうど、釣り舟が返って来て、この釣果は100リットルくらいのクーラーBOX
3個、重そうに運んでいましたので、中は魚で一杯なのかも知れません。
この地方の海は、好漁場であり漁師だけでなく、遊漁船も沢山やってきます。


“春の海 終日 のたりのたり哉” 与謝野蕪村
“空海も航跡のこす 神の睗” 周防 東郭
