12月の最初の日曜日、京都洛東に東郭が忽然と姿を現した。
彼の念願は、京の紅葉を観ることであった。
今では、周防の国から京都まで2時間で行くことができるが、老齢の彼はそれさえ億劫になっていた。
だが、その躊躇は大阪に急用が出来たことで消し飛んだのだ。
そして、それを口実に大阪駅から新快速で京都駅に辿りついたのだ。

京都駅には8時前に到着したが相変わらずの人出であり、特に京都の紅葉を見に来たであろう人々
が団体や夫婦連れなど大勢でごった返していた。
東郭には連れがいた、というよりむしろ東郭自身が連れてきて貰ったいう方が正しい。
彼は元来地方人であり、人ごみをかき分けてなにかをするタイプではないし、老齢になってからは
いつもその連れに任せているようだ。
二人は紅葉の穴場を求めて観光案内所へいく。そこはもう、人が列をなしており流石世界の観光地の
印象が強い。
そこでは、7・8人の若い中国人も待っており、中へ入って東郭はやっとその理由を知った。
観光案内所には、7・8席のカウンターがあり英語・中国語・韓国語・日本語で応対してくれる。
勿論、パンフレットなどの文字も各国版がそろっており、どこの国からやってきても対応できる。
京紅葉の見どころと見頃が表示してあり、各国人は競って行くべき処を模索する。
まさに、そこは国際観光都市そのものであった。
東郭と連れは、京都最後の紅葉を求めてその場所を真如堂とした。
京都駅から満員のバスで銀閣寺方面へ向った。
東郭は年寄りで何もしない、行き先も乗り場も切符の手配もすべて連れがやっている。
バスの案内も英語をはじめ中国語や韓国語も使っており、彼はまたひとしきり感心しているのである。

東郭は、真如堂への坂道を喘ぎながら登って聞く。
その坂道には、落ちた紅葉が折り重なって絨毯をなしている。
付近の住人は毎日道の掃除をする、それでもつぎからつぎに紅葉は舞い落ちている。

やっと、真如堂の裏参道までのぼってきた。
そこで、かれは連れを有能な秘書とばかり思っていたのが誤りであったことに気がついたようだ。
見ると、その連れはさっさと10mも前を駆けるようにのぼって行き、東郭はひとり取り残されていた。

東郭は、やっと坂を登りきるとそこはもう世界が違っていた。
色が赤なのである、黄色なのである。ひろい真如堂境内全体にひろがる紅葉の紅葉は圧巻である。
人でなしの秘書も一人はしゃいでいて、周りの紅葉の反射で顔まで真っ赤である。
いや、朝早くから来ているどの観光客も一様に興奮し、顔まで真っ赤にしているのだ。

東郭といえば、彼もまた感動と興奮の極致であった。
無数の紅葉に惹きつけられ、言葉を失い、夢中でシャターを押し続けた。
もう、見えるのは紅葉ばかりで、秘書のことも自分の禿げていることも足腰の悪いことも、
一切気にならなかった。

日頃から、冷静な東郭であり、紅葉の葉の色とか、形とか枝ぶりとかを比べるのが普通であろうが、
この時ばかりは、 “もう感動の一言です、人間いくつになっても感動は一番の若返りの秘訣です!”
と洩らしました。

萬霊堂
萬霊堂は、三井家によって建立され、 地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っている。

東郭は、ひょっこりこの地へ姿を現したのは、紅葉を求めてきたのであったが、しばらくすると
この地のことも気になりかけていた。紅葉も野性のそれではなく、樹姿も整っており、葉の形状も
極端にいえば京風である。これらにはその歴史がある、真如堂の始まりは永観2年(984年)比叡山の
僧戎算が開いたといわれるが、そのころからこの境内も代々紅葉など植えてきたに違いない。
同じ60年の紅葉であっても、その場所によっては、かくも品よく美しく見えるのは何故であろうか?
千年の歴史があるこの地の紅葉がきれいだというのは、思いすごしであるのか、いや違う、
紅葉の美しさは、その歴史が育んだ証しのような気がしてならない。
東郭が京の紅葉を観たいと言った本音は、どうもその辺にあったような気がしていますが、
このあと、紅葉にみる歴史探訪を写真が尽きるまで続けようとしています。