四国遍路の旅を紹介しています。
3月3日から始まった逆打ち四国遍路のバスツアーも今回で10回目です。
今日は、11月18・19日に廻った徳島県小松島市の18番札所 恩山寺(おんざんじ)です。
《周南市 東郭》

寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が
開基し、当初は大日山福生院密厳寺と号する
女人禁制の道場であったという。
弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)が本寺で
修行していた際に訪問してきた母、玉依御前
のために女人解禁の修法を行い迎え入れた。
玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納
したことから、空海が自身の像を刻み現在の
寺名に改めたとされる。
《Wikipediaより》

恩山寺は、徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40にございます。

恩山寺 本堂

本 堂
母養山 宝樹院 恩山寺(ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建 天平年間末?
開祖 行基 聖武天皇勅願
所在 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40
本尊真言: “おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ”

向拝

鐘楼

本堂を下る

大師堂

大師堂
延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。
大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。
だが、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の秘法を修し、女人解禁の
祈願を成就して母君を迎えることができた。
やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と
改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。
弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。《四国霊場88カ所HPより》

びんずる尊者と剃髪堂

剃髪堂(御母公堂)

地蔵堂のなか

- 舎利弗(しゃりほつ)
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舎利子とも書く。智慧第一。
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『般若心経』では仏の説法の相手として登場。
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摩訶目犍連(まかもっけんれん)
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一般に目連(もくれん)と呼ばれる、神通第一(じんずう・だいいち)。
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中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』
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(うらぼんえ)の起源だとしている。
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摩訶迦葉(まかかしょう)
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頭陀(ずだ) 第一。 ※衣食住に対する欲望を払いのける修行
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釈迦の死後、その教団を統率し、500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集し(第一結集)、付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第一祖となった。
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須菩提(しゅぼだい)
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解空第一(げくう・だいいち)。 ※色即是空・空即是色の空が解かる
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空を説く大乗経典にしばしば登場する。西遊記では、なぜか孫悟空の師匠として登場している。
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富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
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略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一。
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摩訶迦旃延(まかかせんねん)
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論議第一。
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辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。
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阿那律(あなりつ)
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天眼第一(てんげん・だいいち)。
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釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。
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優波離(うぱり)
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持律第一。
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もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。
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羅睺羅(らごら)
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密行第一(みつぎょう・だいいち)。
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釈迦の長男。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。
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阿難陀(あなんだ)
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阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。
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釈迦の従弟。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。
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第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。
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120歳まで生きたという。地蔵堂地蔵堂のそばの石段を下る振りかえって本堂を仰ぐ修業大師ここからバスに乗る大師が植樹した「びらんじゅ」は、県の天然記念物
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古い山門
本日もお立ち寄りくださいまして有難うございます(礼)次回は、17番札所 井戸寺でございます。
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