中国山東省淄博市の臨淄中国古車博物館(殉馬坑)を紹介しています。
本日は第10回目ですが、いよいよ殉馬坑「車萃馬魂」の見学でございます。
周南市 東郭

この遺跡は1990年5月済青高速公路建設中に発見されたもので、現在この坑の上を高速道路が
走っています。

后李春秋殉車馬
1990年5月發掘、時代春秋中期1號坑 長さ32米 寛5米 車10輌、 馬32匹;
2號坑長さ8米、寛3米、車3輌、馬6匹、 馬,車上下疊壓。爲1990年全國十大考古發現之一。



ご覧のように、馬の化石と古車(戦車)の化石が、列をなして並んでいます。
馬の化石の状態は完璧であり、馬の歯もそのままです。
古車の方は、木製の為腐っている部分が多くあります。けれども車輪などは完全な形で化石化して
います。馬を殉死させ、車と共に黄土をかけて埋めたのが中国春秋時代(紀元前770年~前256年)
と申しますから今から2500年くらいまえのことです。発掘されたとき馬の装飾品も出土し当時の文化
を知るうえで、貴重な資料となりました。


「后李殉车马,属春秋中期,时代之早,数量之多,配套之齐全,马饰之精美」と説明していますが、
后李文化とは、何でしょう?、ここに高速道路を建設しようとした時に発見された遺跡で、この地名を
とって后李遺跡としたようですが中国語で次のように解説しています。
后李文化,因首次发掘山东淄博市临淄区后李文化遗址而得名。
该文化分布范围主要在泰沂山系北侧的山前地带。其年代大约距今8500——7500年之间,
前后延续约一千多年时间。
后李遗址是山东省文物考古研究所在配合济南至青岛高速公路建设工程时发现的。
黄河文明は、黄河流域の文明ですが、そのなかでも最も早い時期のいまから8000年±500年に
后李文化が栄えました。
その後いくつもの文明や王朝が過ぎ紀元前770年春秋時代にこの車馬が戦車として使われました。


では、なぜこんな殉馬車のようなことをしたのでしょうか?
それについても下記のように説明しています。
「殉马是我国古代葬俗之一,活马殉葬集中在周代,汉代也有殉马现象。在山东省淄博市临淄齐国
故城内外,近年来多处发现殉马墓,而且数量多,规模大。一、1964年在齐国故城大城东北部,
今河崖头村一带,发现一处国君与贵族墓地,有大、中型墓二十余座,其中五号墓东、北、西三面
有殉马坑」。
ようするに、古代貴族の葬式に馬を殉死させる風習があったとの事ですが、無惨という他ありません。
春秋時代の諸侯の力を表わすのに「千乘之國」と言ったそうですが、一応の國としての基準は、
馬600匹以上を有する國(つまり戦車)であったようです。殉馬坑は、ここだけでなく臨淄区に、
「东周殉马坑是一处春秋时期的齐国君主和大贵族墓地」というのがあり、全部で600匹の
殉馬が眠っているそうです。
その殉馬坑を見学に来た中国の著名女性ジャーナリストが、その悲惨さに目の当たりして、
どうにも涙が出て止まらなくなり、ワァ~ワァ~泣いてばかりいるので、係員がどうして
そんなに泣くのかと聞くと彼女は答えたそうです。“この馬たちは私と一心同体です、
これが悲しくなくてなにが悲しいっていうの?”と又、泣きだしたそうです。
やっと泣き止んで、係員が彼女に名前を聞くと“馬 ”さんと答えたそうです。


あかい大きな屋根が目印、傍を高速道路が走る、その下は殉馬坑です。

出口の門をくぐると20mばかり石段を下って駐車場へいく。

入り口からみた、駐車場と后李文化が眠る中国の大地。
以上をもちまして中国古車博物館の見学は終了します。
どうも御来館、有難うございました。 2012.9.27 周南市 東郭