臨淄中國古車博物館(殉馬坑)紹介-7 | 周南市 東郭の世界

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中国山東省淄博市で1990年5月済青高速公路建設中に大型の殉車馬坑遺跡が発見されました。
車輛13台、殉馬36頭が完全な形で残っており中国十大考古発見とされ博物館に保存されています。
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殉馬坑の内部ですが殉車馬がそのまま保存され見学できます。
       1995年にこれらを含む古代の車馬の展示をして、博物館を拡充しました。
       今回は7回目ですが、見学した順にしたがって見て参りたいと思います。
 
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    自東漢晚期開始牛車日益受到重視。它的載重量大,行步安穩,車箱又呈封閉型,
    乘坐時舒適,因而在魏普南北朝時代廣泛流行。
    先秦,兩漢式的馬車遂逐漸蹟。
             
    魏晋南北朝時代の車、騎、輿、輦(れん)
    東漢末期から始まった牛車は日増しに重視されました。それは積載量は大きく、車箱は
    密閉型となり、乗るのに快適でした、したがって魏普南北朝時代に広く流行っていき、
    先秦、両寒式の馬車はだんだん減って行きました。
 
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  輅是古代帝王的禮儀用車,它高大華奐,車箱外部裝金翅,車后左插旌旗,
  右插棨戟。輅的名稱雖先秦時已有記載,但其形像在普代文物中才出現。
 
  
  輅とは古代帝王の儀礼用の車で、高大で華やかであり車室の外部は金(うずら)翅を
  装い車の左には旌旗を挿し、右には棨戟(ほこ)を挿していました。
  輅の名称は先秦にはすでに記載がありますが、その形像は代の文物の中にようやく出現します。
 
 
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     由于牛車受到重視,權貴出行時亦乘牛車。進而馬車載系駕方法上也模仿牛車。
     牛車系駕的特點是:轅端設軛,套在牛的肩隆前,這時有些馬車也直接套軛,
     不裝車衡。
 
     牛車が重視されるようになって、官吏も出行時に牛車乗るようになった。
     馬車の系駕の方法も牛車を模倣が進んだ。牛車の系駕の特色は轅の端に軛を設け、
     カバーは牛の肩の前とした、この時、いくつかの馬車も直接 軛カバーをつけるようになった、
     そして、車衡(轅につける各横木をいう)を装備されなくなった。
 
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                                                  马镫传入以前的西方骑马者
 
秦代から前漢・後漢、三国、普、南北朝と馬車の歴史の変遷が並べられています。
 
初め、戦いに道具としての戦車から、そのうち乗車用や荷車として重要視されるようになったようです。
 
古代車の変遷の要点は、馬と車を連結器としての轅と軛が着目点のようです。
 
軛も時代がさがって、用途がひろがるにつれ、衡とよばれる轅に対して横木が少なくなり、
 
柔軟性のある套のついたものに変わっています。
 
車箱とよばれる、車室も屋根がつき、密閉型になって行きました。
 
馬に乗る鐙は、この時代まではなかったようですが、つぎは鐙のことについて展示していますで、
 
紹介したいとおもいます。
                                          2012.9.21  周南市 東郭