【甘樫丘】
飛鳥歴史文化研究会の発足記念大会が7月14日、奈良県北葛城郡上牧町で開かれました。
この会は、日本歴史を古代から紐解いて行く同好の集まりです。
本大会を前に、明日香村周辺を探索をすることになり、遺跡概要を大まかに掴んでおく事を主眼として、
先発四名が早朝より集合したのであります。
当日のガイドは日本古代歴史に詳しい地元在住の葛城滋毅君が自ら当たられました。

飛鳥探索は、甘樫の丘は、必須コースらしい。当然 彼も自らの車を運転し連れて行ってくれました。
登り口の駐車場に車を停め、緩やかな登り道を川原展望台へいきます。
雨あがりの強烈な日差しは、高齢者にはキツイ、飲料水とタオルは必需品であります。
川原展望台は、四方を見渡せるということで、石台の案内コンパスには山の名前などの地形名称が
刻まれており、判り易いです。
国営飛鳥歴史公園で甘樫地区と云うことで、南北1kmのこの丘は非常によく整備されており、
自然管理するひとも大変熱心な活動が覗える公園であります。
川原展望台からの展望を楽しんだ後、山の稜線を北へ500mあまり行くと甘樫丘展望台につきます。
すでに、3・4組の人たちも見えられており、ベンチに座って展望を楽しんでおられました。
ここは、標高は148mだそうですが、古代史の舞台となった藤原京跡や大和三山、遠くには生駒山、
二上山、葛城山、金剛山系の山並みを一望できます。
私たちは、ここからの展望をみながら各山々を確認し合い、大和川の治水を話し、
聖徳太子の竈の煙を観察するごとく、大和國原を眺望したのであります。
日本の発祥は此の地とされる説についての疑問 “何故 この地なのか?”は更に興味深い課題と
なったわけでありますが、次回以降に譲ることにします。
この稜線の道の両側にはいろいろな樹木があり、みんな名前が表示されていますが、名前当てゲーム
の様にその表示板のカバー蓋を開けなければ確認できないように配慮されています。
もと来た道を駐車場まで帰る途中、玉虫をみつけました。
最後尾をとぼとぼ下を向いて歩いていると、突然綺麗に光るものが落ちています。
拾い上げて、よく見ると きらきら輝く正に「玉虫」です。
前を行っていたメンバーたちが私の驚きに気付き “なにをしとるんか!?” と問いかけてきます。
私も玉虫は、子供のころ数回見ただけであり、珍しくて切り株に載せて写真を撮っていました。
別のメンバーは、なにか正体が分からないらしく “このおっさん、また変なことしとる” と思って
“それは何か?”、と聞いてきます。 私がひっくり返してまた写真を撮っているともう完全に頭が
いかれていると思ったのか ”行こう、行こう” と云います。
“是が彼の有名な法隆寺の玉虫厨子の玉虫なのじゃ!” と答えると、べつのメンバーで飛鳥民族学の
権威 周防どのが飛鳥の秘宝の由来を話して、上海ボケのメンバーの頭を蘇らせます。
私はと云うと、飛鳥歴史文化探求の初日に巡り合えた法隆寺の飛鳥の秘宝の「玉虫」にただただ
感激し、偶然とはいえ、この吉丁虫を吉兆ととらえ、国宝「玉虫厨子」に想いを馳せたのであります。
【タマムシ】玉虫 吉丁虫 コウチュウ目 タマムシ科 別名 ヤマトタマムシ
細長い米型の甲虫で、全体に緑色の金属光沢があり、背中に虹のような赤と緑の縦じまが入る、


腹を見せるタマムシ