
徳修館の正面玄関です。
毛利藩筆頭宍戸藩主10代宍戸元礼が1846年にそれまであった郷校徳修館に、
この聖廟を建立しました。
これが、現在徳修館と呼ばれている本堂(聖廟)であります。
ここに、当時の明倫館同様、孔子様が祭られています。
弘化3年ごろの藩士子弟の教育は四書五経が中心であり、その祖たる孔子様を祀る事
は、当然のことであったようです。
この徳修館は、いまから165年前の建物ですが、寺院建築の様式を汲んでいるようにも
見えます。
とくに、廟全体の梁の太さは現代木造建築には見られない重厚さがあります。
この建物が山口県の指定有形文化財となっています。
徳修館建物リンクはこちら↓

3月15日に訪問させて戴いたときには、徳修館館長始め関係者の鄭重な出迎えを
頂きました。
当日は、仏教用語でいう御開帳の機会に恵まれまして中国様の祭壇を看る事が出来ました。

祭壇中央に「大成至聖文宣王 木主」とあります。
大成至聖文宣王は孔子様の封号の一つです。
代々の中国皇帝が春秋戦国時代から孔子様に贈ってきました。
木主は、魂の意味であります。(仏教の位牌に相当する)
中国山東省曲阜にある孔林には、十万人の孔一族の墓標があります。
その中の孔子様の墓標の写真を撮って来ましたが、徳修館祭壇の木主と
同一の文字であることがわかります。
まぎれもなく徳修館と孔子様はこんなところで繋がっていたのですね。

2012.3.23 東郭