山東省泰安の岱廟漢柏院の碑文に張衡の四思篇と曹植の飛龍篇がある。
前篇の張衡にもまだ3篇残っており、機会があれば紹介したいが、まずは写真の
魏の曹植の飛龍篇を紹介します。
三国志で有名な魏王武帝曹操と子供の曹丕・曹植は「三曹」とよばれ文人としても
優れ、詩の世界でも多くの作品があります。
特に曹植の文学才能は非凡であったようで中国語では次の如く書かれています。
曹植(192~232),三国时魏诗人。字子建。他是曹操之妻卞氏所生第三子。曹植自幼颖慧,年10岁,便诵读 诗、文、辞赋数十万言,出言为论,下笔成章,深得曹操的宠信。
曹操の死後、子供の曹丕(そうひ)と曹植の後継争いで“七歩進むうちに詩を作れ!
出来なければ殺す”といわれて作った詩が「七歩詩」で豆殻で豆を煮る・・・同根の
※下記
悲哀を詠ったものであります。曹丕はこれを聞いてその才能に感心して許した・・・
とかの逸話が残っています。曹丕も曹植もそのような心が解かっていたのですね。


魏 曹植 飛龍篇
晨游泰山 雲霧窈窕
早朝泰山に遊ぶ、雲霧窈窕(ヨウチョウ)
※静かで奥深い
忽逢弍童 顏色鮮好
忽ち逢う二童、顔色鮮好。 ※二人の仙人に仕える少年
乘彼白鹿 手翳芝草
彼の白鹿に乗り、手に霊芝を翳す、
我知真人 長跪問道
我真人と知る、長くひざまづき道を問う
※真の道を体得した人
西登玉台 金樓複道
西の玉台に登り、金楼より道を複す
授我仙藥 神皇所造
我に仙薬を授けて神仙皇帝の造るという。
教我服食 還精補腦
我にその服食を教え、精かえり能補う
寿同金石 永世難老
長寿 金石と同じく、世永くして老い難し
「七歩詩」 曹植
煮豆持作羹 豆を煮て以て羹と作し
漉支以爲汁 支を漉して以て汁と爲す
稘在釜下燃 稘(まめがら)は釜の下に在りて燃え
豆在釜中泣 豆は釜の中に在りて泣く
本是同根生 本は是れ根を同じくして生じたるに
相煎何太急 相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なるや
漉支以爲汁 支を漉して以て汁と爲す
稘在釜下燃 稘(まめがら)は釜の下に在りて燃え
豆在釜中泣 豆は釜の中に在りて泣く
本是同根生 本は是れ根を同じくして生じたるに
相煎何太急 相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なるや