山東省泰安の岱廟漢柏院の碑文に張衡の四思篇と曹植の飛龍篇がある。
先達諸氏には、両篇とも既知と思われるが、作者・詩歌とも著名のようである。
吾輩が岱廟漢柏院訪問の際、撮影した下載碑文および本ブログ中国文化紹介に
張衡の地動儀を投稿したので、その関連として続編を以下紹介します。
張衡は中国古代人としても天文学者等で大変尊敬を集めている人物であり、
1964年10月9日北京の紫金山天文台で発見された小惑星に“張衡”の名前が
付けられたことでも推察される。
ここで、疑問となるのは、「四愁詩」と「四思篇」と紹介されているおなじものが、
どう違うのでか?。
初心者の私には判らないが下記、中国語説明に「七言詩」の句子があるように
一般的中国では、「四愁詩」と呼ばれているようである。
この碑文の「四思篇」は49文字を表示しており、他に二首~四首があるがいずれも
「思」の字が入っている。
私は「愁」でも「思」でも構わないが「愁思」という熟語があるくらいなので、現段階で
は同一と思いたい。
张衡(78-139),字平子,南阳西鄂人(今河南省南阳县北)人。东汉安帝时为太史令,顺帝朝迁侍中,出为河间王相,后征拜尚书。卒年六十二。他是当时著名的文学家和科学家,既是《二京赋》的作者又是浑天仪和候风地动仪的发明人。诗歌传四言的《怨篇》、五言的《同声歌》和七言的《四愁诗》各一首。
汉柏院内碑碣林立,约计90余块。其中有后人隶书的东汉张衡的《四愁诗》、曹植的《飞友篇》


漢張衡 四思篇
我所思兮在泰山
我思う所は泰山にあり
欲往從之梁父艱
往きて之に従わんと欲すれば梁父艱し
(カタ)側身東望涕需翰
身を側だてて東望すれば涕 翰を濡らす
(ソバ) (ナミダ)(カン) ※翰=襟裳
美人贈我金措刀
美人 我に金措刀を贈る
※黄金の象嵌佩刀
何以報之英婁瑤
何れを持ってこれに報いん英婁瑤
路遠莫致侍遣遙
路遠くして致す莫く侍りて遣遥す
何為懷憂心煩勞
何為れぞ憂いを懐いて煩労す