普賢岳の火砕流が発生したのは1991年(平成3年)6月3日であった。
今から20年前の出来ごとであるが、火砕流が襲ってくる状況が生々しく放映されたことも
あり、強い恐怖を覚えたことを思い出す。
この時をはさむ5年間は、火山活動により平成新山が出来たり、発生した土石流・火砕流の
実態が一般的に認知されるに至った。
私は、その後 水無川へ行った事がある。
その時の脅威は筆舌に尽くせないが、まず川はすべて土石で埋まっていた、
山と川の間にあった家もぶち壊され無残な姿があったり、屋根まで埋まっていたりした。
山側から転げてきた家ほどの大岩があちこち点在し、無残なものであった。
東日本大震災の爪痕を保存しておくのは、是か非かという議論があるが、
ここ、雲仙では災害記念館として大きなドームの中に埋まった家などそのまま保存している。
2004.10.23 中越地震での山古志村(現長岡市編入合併)も同様な保存をしている。







