横濱中華街は日本の三大中華街でも一番大きい。
日本では、華僑とよばれている人たちの集まった町である。
中国でも「华侨」の言葉が入学などの記入欄にあるので使われているのだ。
華僑は、福建省出身が東南アジアやアメリカなど海外進出した中国人コミニュティである。
シンガポールやマレーシアなど中国系の人が多いのは、昔からのこの活動があったからで
あり、平和に現地に溶け込み活躍している。
現在、イギリスやフランスは外国人をうけいれ共生の道を探ってきたが、どうも芳しくない様だ。
このことから華僑社会がその国に溶け込んでいるのは、どんな要因があるのだろうか?
彼らは、それなりに華僑する歴史のノウハウも持っており、ビジネス面でも活躍してきて自分たちのネットワークでその国に融和していったのだろうとおもう。
勿論トラブルもあったに違いないが、アメリカのヒスパニックほど大きな問題となって伝わって来ていない。
この辺りが中国人の“賢さ”、“したたかさ”ではないだろうか?
日本でよく悪事をはたらく中国人などは、この華僑の人たちと同じではないと思うのですが、
今度、中華街で機会があれば聞いてみてみたい気がする。
横濱中華街で中国人一世にあって話をした。
彼は福建省の出身だと言った。
歳は75歳とのことだった。
日本語は、ほとんど解からない。
広東語で話すので、普通語で言ってくれといった。
中国特有の家族で商売する飲食業だ、奥さんは70歳くらいだろう、くせはあるが立派な日本語
を話すので客相手に忙しい。
その亭主は、店番はするが日本語が出来ないので、することがないのである。
かれは、客がくると奥さんを呼ぶだけだ。
私が下手な中国語で、「これは美味い」「子供は居るか?」とか聞くと乗ってきて、いろいろ喋って
いた。
中国老人は、だいたい自慢話が多い。
何時ここへやってきて、この店を立ち上げて、本宅は横浜のどこそこにあってとか言っていたらし
いが真偽のほどは定かでない。
私が、街頭に椅子を並べて休んだり雑談しているのは、まるで中国のようだと言って感心すると
彼もこんな風景はあまりなくなったと言った。
今度は私を店の看板前につれて行き、料理の自慢を始めた。
そして、有名人の誰それが来たとかいう。
あの角で天津甘栗を売っているのは、孫だといった。
その孫娘はちらっとこちらを見て笑った。かなり可愛い。
祖父が日本人と店の話をするのを聞いて“おやっ”と思ったか。
彼も日本語は出来ないとはいえ、やはり中国人だ。
りっぱに商売をしていた。






