

一月二十二日(星期六)
朝、5:30目覚める。
携帯電話の目覚まし音だ、更に 6:00 にもSETしている。
日本にも 6:00 に起こしてくれるよう依頼してある、
なにしろ、今日はやりなおしの効かない帰国の日なのだ。
6:00 過ぎたところで、運転手の Z さんから電話がかかって来た。
相変わらず勢いがいい。
日本流でいうと “お前起きたか? ” “起きたか?” の連発である。
“ああ、起きてる、起きてる、今すぐ行く!” 全ての荷物を持って、階段を下りる。
大庁に彼は今か今かと待っている。
“おはよう!” というや否や、私のトランクを CR-Vに積む。
いま 6:10 分だ、予定時間より早い、私は、一緒にいく日本人留学生に、電話して
“もう来ているから降りてきてください” という。
仲良くなった宿直のおじさんも、丁度出てきて、“帰るのか?、帰るのか?”と聞いてくる。
宿直は、一楼、二楼、三楼と順番に交替しながらの勤務なので、帰国の日に彼に会えるとは、
まさに奇遇である。
緑茶ティ-バックが余っていたので、私はもう要らないからと言って、彼に進呈した。
大庁は、まだ電灯も落として暗いが、椅子の肘かけで、ロシアの狼女が煙草を吸っている。
3人のロシア人も一緒だ。彼らは私に “今から帰国するのか?” といい、 “私達も帰国する” と言う。
彼女たちとは、授業間の休憩中ベランダでよく煙草を吸った。
彼女は、先生の中国語会話が速いので、よく分からない、とか言って授業はよくサボっていた。
会話は発音がよくて、表演の時の演技はたいへん好評だった。
両親とも、お医者でモスクワからは、離れているところらしい。
今、雪が膝まであると言っていた。途中から中級にあがって来た彼女は私を朋友朋友を呼んだ。
名残惜しそうに、何か言いたそうであったが、私の同伴者が降りて来たので “再見!” “再見!” と
いって、私たちは車に乗った。もう、このロシア人留学生には、会える事もないだろう・・・。
宿直のおじさんは寒いのに外へ出てきて“再見!、再見!”となんども言い、手を振りながら別れた。
6:20 宿舎出発、車は暗闇のなかを、飛行場目指して高速道路を走る。
高速道路の街灯はオレンジ系、朝もやのなか、車はまだ少なく、大陸の大地は幻想的だ。
運転手のZ さんは、運転中もずっとハイでよくしゃべる。
隣の尊敬する日本人老留学生の M さんとは、まえから、帰国スケジュールのことを話していて、
済南から直行便で関空へ飛ぶのが、もっとも便利で手間要らずだと強調してきた。
帰国時、あれこれ面倒な乗り換えや時間の心配は、避けたい気持ちは同じらしく、
M さんも自分の帰国の便を、この運転手 Z さんに依頼した。
運転手 Z さんは、又、喜んで即座に同意した。
およそ40分の行程は、どの運転手にとっても魅力的らしい。
私にも、今度帰ってきたら、「その携帯ですぐ電話をくれ」、俺はすっ飛んでくるという。
「すっ飛んで」 は、わたしの誇張だが、彼の早い話ぶりを聞いていると、そう聞こえてくるから不思議だ。
6:45 済南国際飛行場に到着、搭乗手続きまで、M さんの誘いで、朝のコーヒーを飲む。
M さんは、会社の創業者で引退されて、初めての海外渡航とのこと。おんとし78歳。
それまでいろいろ苦労されて、従業員にはずいぶん海外視察や研修に行かせて会社を発展させた。
私はその話を聞いて、いたく感動し、若い人を海外に派遣されたことが、会社発展の要因になったに
違いないと想って、それを彼に告げると、彼もまさしくそうであると思っている、若い人の広い見識と
エネルギーは、会社発展の大きな要因だといった。
目の前の当事者の話を じかに聞くと、彼の信念や真摯さや日本人の魂が迫力に満ちて伝わってくる。
私も、日本の最初の高度成長期からずっと会社勤務で Mさんの話は、同期する。
日本に帰ったら、ぜひ遊びに来てくれといわれる。
わたしも是非、また、お会いしたい。
通関は、じつにスムースであった。なんの支障もなかった。
通関手続きで男性審査員が、私の提示したパスポートのスタンプを、盛んに探している。
パスポートの留学ビザは、角いおおきなスタンプが押してある。
私はそれを指摘し、「山東大学の留学生です」と言うと、かの通関審査員はわたしの顔を看て
一瞬 “おやッ” とし業務とは違う顔になって、にこやかに敬礼した。

関西国際空港と済南国際空港の直行便、2010年3月就航、火曜と土曜日の週2日運航。
機種はボーイング737-700。
2時間半で、日本に到着予定だが、日本時間11:20には、関西国際空港に着いていた。
150日ぶりの日本の印象は?
なにもかもきれい!うつくしい!
関空に友達が迎えてくれた、関空快速で梅田へ。
そのホテルでも友達が、迎えてくれた。
久しぶりの日本は新鮮で美しい。
料亭の女性は和服であり、その動きも優雅で日本の美だ。
私 ひとり感激し、感動し、酣酔した。ともだちは、酩酊した。

留学は、5か月くらいが一番いい。
この歳であの季節、ながくなっては体がついていかない。
150日の中国留学生活は、私にとって最高の期間であった。
それに、ひととの出会い。二度とおなじ時空は再現できない。
留学で各国の人と交流し国際社会の潮流を感じた。
また、日本や日本の友人を再認識した、再確認できた。
わたしは、今回の留学で若くなった。
わたしは、これからも 「 挑戦 し続ける・・・ 」ことを 約束する。
完

~四国山地の雪景色~

~明石大橋の上空~