東海道四日市宿資料館から東海道を南へ歩くとすぐに、かつて浜往還と呼ばれた道との交差点(札の辻) があります。この道は東へ続いています。
実は、四日市が宿場として整備される以前からこの通りに沿って町が発達した事は、あまり知られていません。その道に室町時代から市が立ち、地名の由来となりました。時代がうつって昭和の頃の古いモノクロ写真を見ると、商店が競い合うように軒を連ね、多くの人が行き来し、とてつもなく繁栄している様子が見て取れます。
その南側に並行するように、南浜往還と言われた道が通っていました。
江戸時代の始め頃、札の辻から東の海岸に通じる沿道に先ず出来たのが「新町」。この町域は西から東に向かって上新町(かみじんまち)、中新町(なかじんまち)、下新町(しもじんまち)と呼ばれました。浜往還からあふれた賑わいが、こちらにも届いたのでしょうか。
そして、幕末にかけて4軒(件)の家があった事から四ツ谷新町(よつやじんまち)が形成されるなど、いくつかの町が隣り合っていました。たった4軒で町を名乗れたのですね。これらの町は現在は元新町となり、「四ツ谷」は保育園横にある公園の名前に残っています。
他にも、宿場町界隈には町の変遷とともに、古文書や絵図などの記録に残るか残らないくらいの小さな町がありました。
ほんの一例を紹介します・・・十建(軒)屋、東町、魚町、亀町、浜新町、七幡町 (なんとなく、海の香りがしてきますね)
ひとつひとつ調べられると良いのですが、資料が少ないなどの理由で詳細が不明な事が多いようです。しかし、かえって想像の余地がありますね。
いったい、どんなところだったのだろう? 興味は尽きません。宿場町さんぽ、まだ続きます。 (Y)







