資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。
愛知県名古屋市中区大須3丁目にある、萬松寺(ばんしょうじ)です。


信秀公の葬儀の際、荒縄の帯を締めた信長公が抹香を位牌に投げつけたという逸話が知られています。

万松寺の名物としてからくり人形と白龍モニュメントが知られていますが、本堂にあるからくり人形『信長』はこの事件をもとにした「抹香投げつけ」が再現されています。
(からくり人形は、次の二場を演じています。)
第一場 抹香事件
天文二十一年(1552)。万松寺で織田信長の父、信秀の葬儀が営まれた。当寺開山・大雲永瑞大和尚をはじめ僧侶約三百名と親族、家臣等が参列する中、信長は喪主でありながら、無礼な装いで焼香の時になってようやく現れ、こともあろうに抹香を手づかみにして信秀の位牌に投げつけたのであった。「うつけ者」だという噂がさらに高まった。
永禄三年(1560)。信長は桶狭間の戦いで奇襲に成功し、今川義元を破って天下統一の場に登場した。その出陣を前に幸若舞「敦盛」を舞ったとされている。「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻の如く也、一度生を得て 滅せぬ者の有るべきか」この文言を愛した信長は五十年に一年足らぬまま風雲の生涯を閉じたのである。

(身代わり不動)
鉄砲の名手・杉谷善住坊の撃った2発の弾が信長に命中。もはやここまでかと思ったその時! 弾は懐に入れていた万松寺の和尚からもらった干餅に当たり、かすり傷だけですんだ。
後にこの話を聞いた加藤清正が「きっと万松寺の不動明王のおかげだろう」と言い、身代不動明王と命名した。



絵馬は、万松寺に昔から住んでいたとされる稲荷様「白狐」がモチーフとなった絵馬です。そして、白狐のお守りです。



