資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 和歌山県伊都郡九度山町にある、慈尊院(じそんいん)です。





 慈尊院は弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。

 


 「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公(玉依御前:たまよりごぜん)が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。


 九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。

 

 弘法大師は月に九度(9回)、高野山からお母様に会いに来られました。そうしたことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。


 絵馬は、女性に人気の「乳房型絵馬」。子宝・安産・育児・授乳や病気の平癒を願って、絵馬を奉納し、祈願する参拝者が後を絶ちません。

 


 慈尊院は女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。