資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。
愛知県岡崎市康生町にある、龍城神社(たつきじんじゃ)です。


東照宮と映世神社を合併した社で、ご祭神は徳川家康公と本多忠勝公の2柱です。当初 岡崎城内本丸に東照宮が祀られ、その後、明和7年(1770年)忠勝の直系 本多忠粛が城主のとき、三の丸に移転し家祖である忠勝を合祀しました。明治9年(1876年)現社名に改称し現在の地に遷座されました。
社殿は昭和23年(1948年)に焼失したため、本殿は市内中之郷の大聖寺にあった東照宮を移築し、拝殿は昭和39年(1964年)に再建されたのを機に、天神地祗(てんじんちぎ)・護国英霊を合祀されました。

徳川家康像(静岡市)

本多忠勝像(桑名市)

絵馬は、ご祭神の徳川家康が描かれた堪忍絵馬です。
龍が現われ城の井戸から水を噴出させて昇天したという昇龍伝説が社伝に残る龍城神社は、出世、安産、厄除、開運を祈願するパワースポットとして人気を呼んでいます。 伝説にちなみ、井戸の名も「龍の井」と称し、出世、開運などのご神徳があるとされています。

その昔、旧三河国の中心には龍頭山という小高い丘がありました。ある日、西郷頼嗣(さいごうよりつぐ)がこの龍頭山の砦として岡崎城を築きました。すると天守閣に、美しい5つの衣に紅の袴を身にまとった少女が現れ、
「我はこの地に久しく住める龍神なり、我を鎮守の神として祭らば、長くこの城を守り繁栄をもたらす」
と告げました。西郷頼嗣はこの城を龍ヶ城と名付け、龍神を祀りました。それから約100年後、一人の男児がこの岡崎城で誕生しました。
すると、城の上に黒雲が渦巻き、風を呼んで黄金の龍が現れました。誕生した男児は後に初代征夷大将軍となる徳川家康でした。




