資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。
千葉県木更津市富士見1丁目にある、八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)です。
ご祭神は、
誉田別命 ほんだわけのみこと(應神天皇)
息長足姫命 おきながたらしひめのみこと(神功皇后)
足仲彦命 たらしなかつひこのみこと(仲哀天皇)
素盞嗚命 すさのおのみこと
日本武尊 やまとたけるのみこと
をお祀りされています。
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。
そのとき妃 橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって入水されました。
そのことにより、尊は無事に此の地に着きましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられています。
「五大力船」とは「木更津船」の別称として江戸~木更津間を往復した荷搬船のことです。通称「ごぜき」の名で地元の人々に親しまれ、他地域の船人からは一目置かれていました。
隅田川付近で「ごぜき」に遇えばこれを避けて通ったといわれるほど勢威を振るったと言われています。
神社には、明治初期に奉納された五大力船を描いた指定文化財の絵馬(写真)が保存されています。
実際の五大力船の大きさは 概 ね、全長が 31 尺から46 尺(9.4m~19.4m)、幅が 8 尺から 17 尺(2.4m~5.2m)のもので、載貨 重 量 は 50 石から 500 石積(7.5t~75t)の帆船でした。