資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 長崎県雲仙市小浜町雲仙にある、雲仙山(うんぜんさん)大乗院満明寺(だいじょういん まんみょうじ)です。

 雲仙温泉街でも一際小高い丘に立つ、満明寺は『太宰管内志』(近世成立)に「此所に島原惣鎮守の神あり、四面宮といふ。・・・此所に社人なし。皆山伏なり。」と出てくることから、山伏つまり修験者の多くいた寺院でした。

 

 大宝元年(701年)、僧・行基がこの地で温泉山を開山したと言われています。最盛期には瀬戸石原に三百坊、別所に七百坊を有していたといいますから、かなり大きな寺院であったことがうかがえます。

 

 元亀2年(1571年)白雀の乱や寛永14年(1637年)の「島原の乱」などで何度も焼失しましたが、今なお雲仙温泉街を見守り続けています。

 

 参道階段を上ると、境内奥の釈迦堂に黄金色の釈迦大仏が鎮座されています。釈迦大仏は、明治30年に起こった火事で釈迦堂とともに一度焼失し、その後、檀家を中心に募金を募り、5年の年月をかけて京都で彫刻しその姿を取り戻しました。高さ約5m、奈良の大仏様の3分の1の大きさです。昭和35年に修復され、現在は雲仙地獄の硫黄で錆びないようにと5層の金箔で覆われています。

 

 絵馬は、「ぼけ封じ絵馬」と「がん封じ絵馬」の2種。、中心部(ぼけ・がん)をくりぬき、箱に入れ、絵馬に名前・年齢を記入し絵馬掛けに奉納します。

 釈迦大仏

 

 ぼけ封じ観音(名が生き観音)と開祖行基のお墓(観音像の右隣に祀られている墓石)

 



 雲仙地獄

 雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)におおわれた一帯が雲仙地獄地帯です。 地獄とは仏教の教えで前世の悪業の苦報を受ける所という意味ですが、至る所から高温の温泉と噴気が激しく噴出し、強い硫黄臭が漂う中、湯けむりをもうもうと立たせるさまは、恐ろしげな地獄の景色そのものと言えるでしょう。