資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 京都府八幡市八幡土井にある、飛行神社(ひこうじんじゃ)です。

 明治時代の航空機研究者 二宮忠八(にのみやちゅうはち)が、大正4年(1915年)に自宅の敷地内に創建しました。

 二宮忠八は、「カラス型飛行器」の飛行実験を成功させた日本の航空機研究の祖です。しかしイギリスのライト兄弟が、有人飛行が可能な飛行機を実現したことを知り研究からは退くことになりました。その後、飛行機が実用化されるにつれ増え続ける航空事故に心を痛めた忠八が、殉難者の慰霊のために開創したのが飛行神社です。

 

 ご祭神の饒速日命(にぎはやひのみこと)は、古代の空の神として信仰されており、創建に際し大阪の磐船神社から勧請されました。

ご祭神の饒速日命のイメージ画


 絵馬は、忠八が考案したカラス型飛行器を描いた合格祈願絵馬です。

 

 カラス型飛行器は、主翼は単葉で上反角を持ち、翼幅は45cm。全長は35cm。機尾に水平尾翼、機首に垂直安定板があり、また三輪を備えていました。推進力はゴムひも(陸軍病院勤務であった忠八は聴診器のゴム管を流用した)で駆動される推進式の4枚羽プロペラでした。明治24年(1891年)4月29日、3mの自力滑走の後、離陸して10mを飛行させて、日本初のプロペラ飛行実験を成功させた。翌日には手投げ発進の後、約36mを飛行させました。

 

 

(一言メモ)

 四日市にも、日本のライト兄弟と呼ばれた「玉井兄弟(たまいきょうだい)」の存在があります。

 民間飛行機の草分けの時代に活躍した、玉井兄弟。兄の清太郎(せいたろう)と弟の藤一郎(とういちろう)です。


 現在の四日市市諏訪栄町の出身で、四日市市内で飛行機の自作に取り組み、第二小学校(現・四日市市立浜田小学校)の校庭を使用して飛行機を組み立てた記録が残ります。

 その後、大正5年(1916年)10月5日には飛行練習場と定めた多摩川河口の干潟、通称・三本葦(さんぼんよし)でキャメロン25馬力エンジンを搭載した「玉井式2号機」の飛行に成功。これが現在東京国際空港となった羽田の地での初飛行でした。

玉井式2号機、羽田の三本ヨシ飛行練習場にて初飛行に成功。