資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 埼玉県川越市小仙波町1丁目にある、喜多院(きたいん)です。

 国指定重要文化財「川越大師喜多院」(喜多院)は、天長7年(830年)に円仁(慈覚大師)によって創建されました。

 

 江戸時代初期の1612年、徳川家康の信任を得る天海僧正が住職となってから大いに栄えました。1638年に川越大火によって喜多院のほとんどが焼失しましたが、3代将軍徳川家光が江戸城から「家光誕生の間」「春日局化粧の間」が移築されています。また、全域が重要文化財に指定されている喜多院には、日本三大羅漢の一つに数えられる「五百羅漢」も見られます。

 

 絵馬には、本堂(慈恵大師堂)と多宝塔が描かれています。

 慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)を祀る堂宇です。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼ばれています。

 また、多宝塔は、高さ13m、方三間の塔で本瓦葺、下層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのる江戸時代初期の多宝塔の特徴を表しています。

 

 木造天海僧正晩年の像です。

 徳川家康の参謀として江戸幕府立ち上げ期の朝廷政策・宗教政策に関与した「黒衣の宰相」。2代将軍秀忠、3代将軍家光にも仕えた天台宗の大僧正。享年108歳であったとも。

 



 五百羅漢です。

 羅漢とは悟りを開いた高僧のことで、日本三大羅漢の一つにも数えられる喜多院の五百羅漢は50年の歳月をかけて完成しました。喜怒哀楽から、内緒話をしたり七輪でお湯を沸かしたり動物を従えていたりと、一つとして同じものはない様々な表現の羅漢の石像が538体並んでいます。また、深夜こっそり羅漢さまの頭をなでると一つだけ温かいものがあり、それが亡くなった親の顔に似ているという言い伝えも。