江戸の人々の夜を照らしたものの一つが行灯(あんどん)です。行灯とは、油皿に灯芯を浸して火をつけ、障子紙を張った枠で覆ったもので、浮世絵にも数多く登場しています。

 

 行灯に「行」という漢字が使われているのは、元禄(1688~1704)時代前は、行灯は夜に外出するときに使うものだったからと言われています。

 それが元禄時代に入り、外出用に蝋燭を使う折り畳み式提灯が普及したことから、行灯は外出用から室内用の照明に変わりました。

 よく見かける箱型の室内用の行灯は、「置行灯」と呼ばれるようになり、置行灯=行灯となりました。



(展示中の行灯・灯芯)

 明かりのもととなる油の調達先は、道行く油売りでした。油売りは担いでいる桶から油さしに油を移し、さらに客が持ってきた容器に入れるので、しずくがきれるまで時間がかかったのだとか。油を移し替える間、油売りは客と世間話をしていたため怠けているように見えたことから、油を売るという言葉ができました。

 油売りとはまた別に、灯芯売りもいました。灯心とは、明かりを灯すために燃やす芯のこと。灯芯には紙をよったこよりや木綿の糸のほかに、藺(い)といういぐさ科の植物の髄も使われたようです。灯芯草という別名もある藺はとても軽く、安かったので庶民にとっても魅力的だったでしょう。灯芯売りはかなりの量を束ねて担いでいたとか。





(展示中の提灯と燭台)

 

話のネタ~伊勢水~

 江戸時代の行灯に使われていた油は、主に植物性のものでした。初期にはハシバミ油が使われていたとされ、他にゴマ油、マシ油、エゴマ油、ホソキ油などが文献に記されています。室町時代末から江戸時代初期にかけて、菜種油の生産が盛んになり、行灯の燃料として広く使われるようになり、ここ四日市周辺でも菜種の栽培が盛んに行われ、その菜種油は「伊勢水(いせみず)」として関東地方に運ばれていました。「伊勢水」の名を冠したこの商品は高級品・高価な油として珍重されました。



(参考)浮世絵に描かれた行灯の数々