江戸時代、およそ60年ごとに発生したと言われるお蔭参りは、庶民が旅をする数少ないチャンスでした。
お蔭参りが始まると、奉公人は主人に内緒で、妻は夫に内緒で参宮することが認められていました。
中でも文政13年(1830年)に起こったお蔭参りは、もっとも規模が大きく、参宮した人はおよそ 440万人と言われています。


当時の人口の14%近くの人が 数か月の間に伊勢を目指すのですから、街道沿いの村々では旅人の旅を少しでも助けるために数々の施しを行ないます。旅人の多くがお金を持たなくても旅を続けられる仕組みがあったのです。
文政13年のお蔭参りについて書かれた『御陰参宮文政神異記』には、阿波国の佐古町の手習屋で手習いをしていた子どもたちが話し合って伊勢に旅立ったことと、徳島から「おさん」という小ぶりな犬が、首に銭をくくりつけて伊勢に来たこと、さらに「伊勢古市町の大和屋長兵衛が首に巻かれた銭を軽い銀貨に替えてあげた」という「おさん」についての記述が残っています。
話のネタ「施行(せぎょう)」
特に60 年に一度のおかげ年には、抜け参りも増え、お金をもたずに旅に出る者がほとんどでした。
唯一の持ち物は「ひしゃく」。参拝者に食事や宿などを無料で提供する施行(せぎょう)というものがあり、施行を受ける目印である「ひしゃく」があれば、無銭で伊勢までたどりつくこともできました。
施行を与えた者は善行によって徳を積むことができると考えられていたため、進んで行う者が多かったようです。
