街道には伝馬人足が休憩する場所として決められた立場がありました。
人足が使った杖を立てておく事から立場というようです。また、立場には伝馬人足だけでなく一般の旅人も利用し旅の疲れを癒しました。
立場の中でも宿場と宿場の中間にあるものは、間(あい)の宿といい、茶店が建ち並ぶ風景は、ちょっとした宿場のようで、ところによって名物があり、旅の楽しみともなりました。
桑名宿~四日市宿の間には六ヶ所、四日市宿~石薬師宿の間には三か所の立場がありました。
話のネタ「富田の名物」
街道に植えられていた松から落ちてくる松ぼっくりで焼いていました。
また、江戸時代の俳人 宝井其角(たからいきかく)が詠んだ「蛤の 焼かれて啼くや 郭公(ほととぎす)」の句碑が、四日市市富田浜海岸小公園に建立されています。