高札場は、幕府からのお触れなどを書いた高札を掲示する場所です。とても大切なものなので、雨に当たらないよう屋根がついています。

 村ごとに必ず一つあり、しかも村の中で最も人通りが多いところに建てられています。


 四日市宿では、東海道と湊へ向かう道の交差点に建てられ、町の人はこの交差点を「札ノ辻」と呼んでいました。



 高札場に掲げられている御触書(おふれがき)には、伝馬人足のこと、家族や奉公のこと、商売のこと、伝馬人足の駄賃のこと、火事の時のこと、徒党を組むことの禁止、キリシタンの取締まりのことなどについて記されています。



 江戸時代の人々にとって、これらは常に守らなくてはいけない決まりでした。

 

話のネタ「当時の識字率」

 御触書は現在でも難読な書ですが、江戸時代においても現在と同様、多くの子どもが学校に通い「読み書きそろばん」と言われる基本的な学力を身につけていました。当時の日本人の識字(読み書きが出来る)率は、イギリスやロシアなどに比べても大きく上回っていたとされています。