平成11年(1999年)  中部西小学校の校舎改築に当たって発掘調査が行われ、地表下約1.3mのところから、四日市陣屋内の遺構や堀の一部が見つかりました。


 堀からは江戸時代後半の瀬戸・美濃・信楽など陶器類、曲物・漆器など木製品類が大量に出土しました。

 そのときに出土したものが、資料館に展示しています。四日市市教育委員会からお借りしているものです。










 珍しいものとして、「入れ歯」があります。本物は湿度や温度などの管理が難しいため、写真でのご紹介としているのですが、材質が柘植(ツゲ)の木で作られていました。

 非常に精巧に出来ておりまして、世界的にも高い技術だったということで、珍しいものです。

 発掘された当時、この入れ歯のレプリカが作られ、民放の時代劇に使われました。日本の木床義歯(入れ歯)の技術は、シーボルトがヨーロッパに紹介しているほどでした。

 

話のネタ「江戸時代の入れ歯」

 江戸時代も安定期に入ると「入歯師」は村々を回ったり、祭の縁日に活動するようになり、後半には寺社の参詣道などに店を構える者も現れた。

 彼らの引き札(営業案内)によれば、職人気質もあってか代金は3両前後と相当高額であるが、上層の町人にまで普及していたようである。

 

  江戸時代の国学者であった本居宣長は、息子春庭に宛てた手紙の中で、津の入歯師に作らせた入れ歯ができたため、また食べ物がうまく噛めることを素直に喜んで、次のような和歌を添えている。

 「思ひきや 老のくち木に春過ぎて かゝる若葉の又おひんとは」寛政8(1796)年、宣長67歳の歌である。