江戸時代の宿場の役割は、主として三つ。
一つは、旅人の宿泊休憩施設があることでした。大名や幕府の役人公家などが宿泊休憩に使う「本陣・脇本陣」、武士や一般庶民が泊まる食事付の宿「旅籠」、自炊する宿屋「木賃宿」、旅人が休憩する「茶屋」などが建ち並んでいました。
あとの二つは、人馬の継立(人と荷物の輸送)と飛脚業務でした。この二つは、「問屋場」で行われていました。
東海道の宿場では、荷物や人を運ぶため、馬100匹、人足100人を用意しておかなければなりませんでした。それでも足りない場合は、助郷の村から人と馬を集め、運搬に備えました。飛脚も問屋場で手紙などを継ぎ立てました。
写真は、宿場の構成イメージと浮世絵に描かれた馬や人足たちの様子です。




話のネタ「助郷一揆」
宿から距離のある助郷村では出役するにも大変でした。また、度重なる出役により多くの農村が疲弊していく中、分担、費用などをめぐって宿と助郷、また助郷同士の争いも起きていました。慶応元(1865)年には、四日市宿で助郷一揆が発生しました。