街道は五十三次から五十七次へ

 

 東海道五拾三次は、慶長6(1601)年に徳川家康が幕藩体制確立のために、江戸から京都までの東海道に53の宿場を設置したことから始まりました。

 その後、慶長20(1615)年 大坂夏の陣に勝利した家康の命により、大津から京都へ入らずに「伏見宿」・「淀宿」・「枚方宿」・「守口宿」を経て大坂へと延伸されて以降、江戸幕府が「東海道」として管理した街道は「五十七次」になりました。


 シリーズ「浮世絵でたどる東海道五拾三次」は、江戸日本橋を1月22日に出立してから137里4町1間(約539キロメートル)。ようやく終着点の大坂に到着しました。


 最後までお付き合いいただき有難うございました。

 

 浮世絵は、波花勝景画「大坂 高麗橋」で締めくくりです。


 高麗橋は大坂城西側の東横堀川に架かる橋です。橋名は朝鮮通使迎賓に関連(諸説あり)します。

  また高麗橋は、上方の多くの街道の起点であり、江戸の日本橋と同じような役割があった様です。

 橋の向こう側には三階櫓のある矢倉屋敷が描かれています。高麗橋周辺は豪商の店舗が並んでいました。

 

 付録  府縣名所図絵(高麗橋)