資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。


 京都市東山区泉涌寺山内町にある、即成院(そくじょういん)です。

 

 即成院は、正暦3年(992年)伏見に創建された光明院にはじまると伝わります。

 

 寛治年間(1087 〜 1094年)歌人 橘俊綱(藤原頼通の次男)が山荘を造営する際、光明院を持仏堂として組み入れ、ご本尊の阿弥陀如来と二十五菩薩像を祀り即成院(伏見寺)という寺院となりました。

 

 絵馬は、的に矢が刺さった「願いが的へ」と書かれた絵馬。

 

 即成院の境内には、屋島の戦い(寿永4年/元暦2年/1185年)・扇の的の話で有名な弓の名手、源義経の家来であった那須与一の墓とされる鎌倉時代の石塔があります。

 

 文治元年(1185年)屋島の戦で扇の的を射落とし、那須与市宗高は名をあげたが、出陣の途中病気になり、伏見の即成院に平癒を祈願し武勲をたてたことが忘れられず、のちに剃髪し入信しました。