資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。



 京都市東山区祇園町北側にある、八坂神社(やさかじんじゃ)の摂社である疫神社(えきじんじゃ)です。

 

 疫神社は、文政6年 (1823年)頃に建立されました。別名「蘇民将来社(そみんしょうらいしゃ)」とも言い、疫病除けの神として氏子崇敬者の信仰を集めています。

 

 ご祭神の、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)は、素戔嗚尊が南海を旅された際、2人の兄弟の神様に宿を請います。

 

 巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福でありましたが宿を貸さず、蘇民将来は貧しいながらも粟で手厚くおもてなしされました。

 

 感激された素戔嗚尊は、後年疫病が流行しても「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば災厄から免れると約束されました。

 

 この由来より、蘇民将来は疫病退散の御利益のある神様として信仰されています。

 

 絵馬は、蘇民将来守の、長さ約7cm、径5cmの八角形の木製のお守りを描いたもの。そして蘇民将来の護符が付けられたしめ縄です。

 

 木製のお守りには「蘇民将来之子孫也」の文字が書かれ、底部に護符が付き、中心部に麻紐が通してあり吊り下げられるようになっています。