資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

大阪市天王寺区逢阪1丁目にある、安居神社(やすいじんじゃ)です。
神社の創始は不詳ですが、聖徳太子が四天王寺を建てられた頃であろうと言われています。
安居神社(安居天満宮)のご祭神は、大国主命と共に国づくりをした少彦名神(すくなひこなのかみ)。後の天慶5年(942年)に菅原道真公(すがわらのみちざねこう)を合祀して天満宮となっています。
昌泰4年(901年)菅原道真が京都から太宰府に左遷された際、ここへ立ち寄って安井(休憩)しました。
当時、道真に同情した村人が『おこし』を差し上げると、お礼にと菅原家の紋所『梅鉢』をもらいました。これが、今でも大阪名物の『粟おこし』の商標の『梅鉢』となったと言われています。
安居神社は、慶長20年(1615年)大坂夏の陣の時、真田幸村(信繁)が最後を迎えた場所でもあり、「真田幸村の終焉の地」と言われています。
慶長19年(1614年)大坂冬の陣の後、徳川家康によって大坂城の外堀が埋められ、大坂城は多くの防御機能を失いました。
そして翌年の夏の陣。大坂方の軍勢は、籠城するよりはと思い、幕府軍に対し野戦にて出陣することに。徳川家康は『3日で終わる』と余裕の出陣でしたが、大坂方の猛攻に幕府軍は手こずります。
この時、真田幸村は、徳川家康本陣に突撃!
記録によると3度の突撃で、本陣の旗は倒れさ、家康本人も逃げ出す有様だったとか。しかし、多勢に無勢で、真田軍は徐々に押し戻され、幸村も『安居神社』に落ち延び、この地で最後を迎えたと伝わります。
そして幸村が最後を迎えたのが、境内にあった松の木のふもと。亡くなった後、『さなだ松』として命名され、後の世に伝えられています。
絵馬は、幕府軍に打って出た真田幸村の武者姿を描いた絵馬です。