資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。



 鈴鹿市石薬師町にある、石薬師寺(いしやくしじ)です。

 

 神亀3年(726年)山岳修行者の高僧・泰澄(たいちょう)が、この地を訪れた折、地鳴りが起こり森の中の大地に、霊光を放つ巨石が出現。薬師如来が民衆を救うために現れたのだと感じ、お堂を建ててお祀りします。

 

 その後、弘法大師・空海(くうかい)が自ら薬師如来立像を彫り、神威を迎えて、より一層、霊験あらたかとなりました。

 

 その評判は嵯峨天皇(さがてんのう)にも伝わり、鎮護国家を祈願する寺院である勅願所となります。

 

 当初は高富山(たかとみさん)西福寺(さいふくじ)瑠璃光院(るりこういん)と称されていましたが、後に「石薬師寺」と改められました。

 

 天正3年(1575年)織田信長の兵火により本堂を含む諸堂が焼失するも、慶長6年(1601年)神戸城主・一柳直盛(ひとつやなぎ なおもり)によって再建されました。

 

 江戸後期の浮世絵師・歌川広重は『東海道五十三次』の中で「石薬師宿」を桜が花開く春の“石薬師”の地を描いています。

 

 日本の浮世などの影響を強く受けたオランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)は、後に歌川広重を始めとする日本人の作品を背景に『タンギー爺さん』を描きます。

 

 その『タンギー爺さん』の右上に描かれているのが『五十三次名所図会』の石薬師です。

 

 絵馬は、ご本尊の薬師如来像と卯年の開運干支絵馬の2題です。