資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。


 京都市東山区大和大路正面茶屋町にある、豊国神社(とよくにじんじゃ)です。

 

 地元では「ホウコクさん」の通称で親しまれている、豊臣秀吉公 を祀る豊国神社の総本社です。

 

 豊臣秀吉は慶長3年(1598年)に63歳で亡くなりました。

 

 秀吉本人の遺言によりその遺体は、東山 阿弥陀ヶ峰に埋葬され、翌年には広大な廟社が造営されました。

 

 後陽成天皇からは豊国大明神の神号を賜り、秀吉の七回忌に催された祭礼は狩野内膳筆の「豊国臨時祭礼図屏風」に描かれるほどに盛大なものであったと伝わります。

 

 しかし徳川家が政権を握り豊臣家が途絶えると秀吉の廟社は廃祀され、江戸時代の間は長きに渡り荒廃してしまいました。

 

 明治元年(1868年)に新日吉神宮の神楽殿を仮拝殿として再興され、明治13年(1880年)に旧方広寺の境内に新たな社殿が造営され、それに伴い阿弥陀ヶ峰の秀吉廟も再建され現在に至ります。

 

 絵馬には、草鞋(わらじ)形の板に仕事絵馬と書かれています。

 

 秀吉が農民の出から天下人へと登りつめたことから、立身出世を願う参拝者が多く見られます。