資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。


 京都市東山区泉涌寺山内町にある、即成院(そくじょういん)です。

 

 寺伝では、平安時代中期の正暦3年(992年)に恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)が伏見に創建した光明院が起源とも、

 寛治年間(1087年~1094年)に太政大臣・藤原頼通(ふじわらのよりみち)の次男で、伏見長者・橘俊綱(たちばなのとしつな)が伏見山の山荘に阿弥陀如来・二十五菩薩像を安置し、即成就院・伏見寺と言われたのが起源とも伝えています。

 

 また、平安時代末期に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の弟・源義経(みなもとのよしつね)軍に従軍した武将・那須与一(なすのよいち)が参詣し、武運を祈願した所として知られています。

 

 本堂に安置されている現世極楽浄土と呼ばれる本尊の阿弥陀如来と二十五菩薩は、寛治8年(1094年)に作られたもので重要文化財に指定されています。

 近年では中央に鎮座する阿弥陀如来像、その周りに二十五菩薩が雅楽でよく見かけるような笙、太鼓、笛、琵琶などを携えていることから「仏像のオーケストラ」と呼ばれます。

 

 絵馬は、仏様が楽器を奏でているような姿に「欣求浄土(ごんぐじょうど)」と書かれています。

 

 欣求浄土とは、仏教で極楽浄土を心から願い求めることを意味します。