資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。



 今治市大三島町宮浦にある、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。

 

 御祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)。

摂社(上津社:かみつやしろ)には、大雷神(おおいかづちのかみ)

摂社(下津社:しもつやしろ)には、高靇神(たかおかみのかみ)

が祀られ、本社と両摂社の三社を以て大山祇神社と崇められています。

 

 海の神、山の神、武人の神として信仰があり、多くの武将から戦勝祈願や謝礼として武具が奉納されてきました。

 

 境内にある樹齢約2,600年の御神木の大楠をはじめ神社内の楠群は、日本最古の原始林社叢の楠群として国の天然記念物に指定されています。

 

 絵馬は、元寇(げんこう)の役を描いた絵馬。

 

 元寇の役とは、蒙古襲来とも呼ばれ、鎌倉時代中期の1274年・1281年に、モンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって二度にわたり行われた対日本侵攻の戦で、一度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、二度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)と呼ばれています。

 

 瀬戸内海は、古くから京都や畿内と、九州や朝鮮半島を結ぶ海運の要衝として発展しました。

 

 南北朝時代から因島や弓削島を中心に瀬戸内の制海権をにぎっていた村上一族は、室町幕府や諸大名から命じられて芸予諸島海域内に関所を設け、海上を警固。積み荷の1割程度を通行料として徴収し、通行手形として村上の旗を掲げた船舶には航海の安全を保障しました。