資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

京都市山科区西野山桜ノ馬場町にある、大石神社(おおいしじんじゃ)です。
赤穂義士・大石内蔵助(おおいしくらのすけ・大石良雄)が隠棲した閑居跡とも言われる岩屋寺(いわやじ)近くに鎮座します。
大石内蔵助は、元禄14年(1701)年7月から元禄15年9月まで親類(母方の大叔父)・進藤源四郎(しんどうげんしろう・進藤俊式)の世話によって住居を構えました。
大石神社は、昭和初期に赤穂義士を崇拝していた浪曲師・吉田大和之丞(よしだやまとのじょう・吉田奈良丸)が大石内蔵助ゆかりの山科に神社を造営することを計画したのが起源。
その後、昭和10年(1935年)に京都府知事を会長とする大石神社建設会が社殿を造営し、討入の為の武器を納入した天野屋利兵衛(あまのやりへえ)を祀る義人社も造営されました。
絵馬は、御祭神の大石内蔵助を描いた絵馬です。
大石神社は、内蔵助の指揮のもと数々の困難を乗り越え無事主君の仇・吉良上野介を討ち果たした赤穂義士たちの働きから、大願成就にご利益があるとされています。
また、大石内蔵助を主祭神として祀る本殿の他、すぐ横には「天野屋利兵衛は男でござる」のセリフで有名な天野屋利兵衛を祀る義人社もあり、商売繁盛の神として信仰されています。