資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。


 京都市東山区粟田口鍛冶町にある、粟田神社(あわたじんじゃ)です。

 

 平安時代前期の貞観18年(876年)に第56代・清和天皇が兵火や疫病に対する勅を発し、全国の諸神にお供えをして、国家と民の安全を祈願させた際、大己貴命からの神告により、八坂神社の祭神・素戔鳴尊にゆかりがある現在の場所に建立されたのが始まりとされています。

 

 勅使・藤原興世が七日七晩 八坂神社で祈願した際、満願の夜に老翁が枕物に立ち、「我を祀れば、必ず国家と民は安全なり」と告げられたことから朝廷に奏上し、勅命によって社殿を建立し、大己貴命・素戔鳴尊をお祀りされました。

 

 10月に行われる神社の例祭「粟田祭」には、祇園祭の山鉾の原形といわれる「剣鉾」が巡行します。

 

 絵馬は、粟田祭で巡行される剣鉾を模して造られた、旅立守護、厄除開運祈願絵馬です。

 

 剣鉾は元々、祭礼行列の威厳を示す武器としての矛(ほこ)が次第に風流化したものとも言われています。