資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。


 京都市東山区泉涌寺山内町にある、即成院(そくじょういん)です。

 

 寺伝によれば、正暦3年(992年)、恵心僧都(えしんそうづ)(=源信(げんしん))により伏見(宇治川北岸)に建立された光明院が起源。

   

 文禄3年(1594年)豊臣秀吉の伏見築城のため深草大亀谷に移転し、さらに明治時代に至って泉涌寺山内に再興され、即成院と称されるようになりました。

 

 境内には平安時代の武将 那須与一(なすのよいち)の墓と伝えられる石造宝塔が祀られています。

 

 那須与一は出陣する途中、病に罹(かか)ったが当院に参籠し、本尊阿弥陀如来の霊験で平癒し、屋島の戦い(源平の戦い)で戦功をたてたので、仏徳に感じて出家し当院に庵をむすび、一生を終えたと伝えられています。

 

 絵馬は、那須与一にちなんで作られた絵馬でしょうか、「願いが的へ」と書かれています。

 

 那須与一は、「平家物語」や「源平盛衰記」に登場し、源平合戦において源氏側に勝機をもたらした弓の名手であり、船上の扇を射落とした「扇の的伝説」で知られています。