資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

岡崎市岩津町東山にある、岩津天満宮(いわづてんまんぐう)です。
岩津天満宮の中興の祖として知られる、服部長七(はっとりちょうしち)について、次のような物語が伝承されています。
『明治11年(1878年)、39歳の長七は愛知県・岡崎の夫婦橋の掛けかえ工事を請け負いました。
この工事は明治天皇ご巡幸を控えての大変重要な仕事でした。
完成直前のある日、長七は夢とも幻ともつかない光に包まれます。神仏よりの奇瑞を感じた長七は一旦工事を止め、霊験あらたかとの評判高い岩津天満宮で工事竣功のための参籠を行うことにしました。
満願の朝、長七の夢枕に白衣の老人が立ち、「夫婦橋の工事には欠陥がある。特に水中を吟味せよ。」と長七に告げます。
長七は天神様のお告げの通り、全員総掛かりで水中を探したところ、やはり欠陥が見つかりました。
昼夜兼行で夫婦橋を完成させ、その誠実無比の仕事ぶりは、長七の名をさらに高いものとしたのです。
この後長七は、国家的な土木事業に活躍の場を広げますが、およそ二十年後再び岩津天満宮と深くまみえ、中興の祖と仰がれるようになりました。
明治時代に長七が考案した「長七たたき」(人造石)の技術は、化学的な物資は一切使わず、環境を損なうことなく、尚かつ、従来の工法の約30倍の強度を持つものでした。
当地 四日市にも、明治27年 服部長七が四日市港に造った防波堤「潮吹き堤防」が今も残ります。

(四日市港の塩吹き堤防)
絵馬には、神の使いとされている大きな牛が描かれています。