資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

津市白山町、美杉町、松阪市飯福田町に鎮座する7社をめぐる「白鷺伝説 七白山めぐり」です。
大正時代には、「七白山(倭、川口、八対野、山田野、家城、竹原、飯福田の神社)にお詣りすると、加賀白山にお詣りするのと同じご利益がある」といわれていました。
地元の企画委員会によって作成された「白鷺伝説 七白山めぐり」のしおりには、次のような白鷺伝説が紹介されています。
「往昔、家城村の住人家城与左衛門の息子で円乗坊という高僧あり珍徳上人という。天文22年(1553)正月24日の夜、「明年二月加賀白山は火災で焼失し てしまうから、それまでに天照大神のいます地に移りたい。」という夢のお告げを感じ、北斗七星が南方の空に点々と輝くのを見た。
円乗坊は夢告にこたえてすぐにも加賀へ行きたいと思ったが、北陸は雪のさなかであるので雪が少なくなるのを待って、三月上旬、白山に詣でて七日七夜の祈願をこめた。
七日目の夜、神様のお告げがあり、翌朝みると笈の中に御幣が七本立っていた。
これこそ霊夢の験であると感じて、神前にぬかずいて後、笈を背負って帰国の途についた。
故郷へ立ち寄って年老いた母にあうために家城の近く雲出川の瀬戸ヶ淵の岸で路傍の石に笈をおろし暫し疲れをいやしていた時、にわかに笈が前後にゆれ動いて中から七羽の白鷺が飛び立った。
白鷺は神の使者である。それが七羽というのは、さきに霊夢で見た南方に輝く北斗七星と同じ意味であると感じて、その七羽の白鷺がおり立ったところへ白山神社を建てようと念願した。
白鷺がおりた所は小倭の風神の森、井生川口の境、八対野、山田野、家城、竹原、飯福田の七ヶ所で、この地に同時に社殿の建立にとりかかった。
そして、加賀白山の御分霊を奉斎したと伝えられている。」
絵馬は、白山比咩神社、家城神社の干支絵馬、伊勢山上飯福田寺で白木の板に御朱印をいただいたものなどです。




