資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

亀山市田村町にある、能褒野神社 (のぼのじんじゃ)です。
明治12年、「能褒野王塚古墳」が明治政府内務省によって日本武尊の「能褒野墓」と定められたことに伴い、地元の有志により日本武尊の遺徳を偲ぶため創建されました。
ご祭神には、日本武尊、妃の弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、息子の建貝児王(たけかいのみこ)をお祀りされています。
また、境内には日本武尊と弟橘姫命の深い絆を表す「連理の榊」の榊があります。
この榊は雄株と雌株の木が地上3mくらいの所で横に伸びた一本の枝で繋がっており二人の深い愛情を思い起こさせます。
絵馬は、比翼連理(ひよくれんり)のたとえから作られたものでしょうか。朱塗りの鳥居を背景に社紋の付いた瓦に雄鶏と雌鶏が描かれています。
比翼連理とは、
男女の情愛の、深くむつまじいことのたとえ。相思相愛の仲。夫婦仲のむつまじいたとえ。「比翼」は比翼の鳥のことで、雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶという想像上の鳥です。
「連理」は連理の枝のことで、根元は別々の二本の木で幹や枝が途中でくっついて、木理が連なったもの。男女の離れがたく仲むつまじいことのたとえです。