資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

鈴鹿市加佐登町にある、加佐登神社(かさどじんじゃ)です。
神社の創始は定かではありませんが、日本武尊(やまとたけるのみこと)終焉の地に遥か古代に思いを馳せる鎮守の森として伝わります。
主祭神の日本武尊(やまとたけるのみこと)は、大和の国(古代の日本国)を統一に導いた伝説の英雄です。
第12代景行天皇の第2皇子として生まれた小碓命(おうすのみこと)は、若い頃から武勇にすぐれておりました。西国は九州の熊襲タケル・出雲タケルなどの豪族を従えてまわり、その後休む間も無く、帝の命令により東の蝦夷などの統一に向かわれました。
東国を統一したその帰り道、尾張国のお妃・美夜受比賣命(宮津姫命)に神剣・天叢雲剣(草薙剣)を預け、伊吹山へ向かいました。(後にこの神剣が熱田神宮に祀られることとなります。三種の神器のひとつです。)
しかし、尊は伊吹山の戦いで傷つき、病におかされてしまいます。
尊は動かない体を引きずって、この能褒野の地にたどり着き、わずか30歳あまりの短い生涯を終えられました。
絵馬は、奉納された熊襲退治の一場面が描かれた大絵馬を再現されています。
小碓命(尊の幼名)が九州に入ると、熊襲建の家は三重の軍勢に囲まれて新築祝いの準備が行われていた。
小碓命は髪を結い衣装を着て、少女の姿で宴に忍び込み、宴たけなわの頃にまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。
誅伐された弟建は死に臨み、「西の国に我ら二人より強い者はおりません。しかし大倭国には我ら二人より強い男がいました」と武勇を嘆賞し、自らを倭男具那(ヤマトヲグナ)と名乗る小碓命に名を譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じました。