資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。



 和歌山県九度山町慈尊院にある、慈尊院(じそんいん)です。

 

 空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現・香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒仏を篤く信仰していました。

 

 空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだといわれている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所にいる母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられました。

 

 空海の母は、承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒仏の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒仏像と母公の霊を祀ったという。弥勒仏の別名を「慈尊」とも呼ぶことから、この政所は慈尊院と呼ばれるようになりました。

 

 空海の母がこの弥勒仏を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここ、ということで「女人高野」とも呼ばれています。

 

 絵馬は、母の象徴を表す乳房をかたどったものが付けられています。

 

 慈尊院は、いつも弘法大師の御母公が温かく見守ってくださっているとあります。

 

  「母なくして 子なし」

  「子なくして 母なし」

  「大師も 御母公あっての 大師なり」