1996年、9歳(小学4)で日立北道場に入門
当時、日立南道場には少年部がなくO野師範が責任者を務める北道場に入門した
入門3ヶ月にして黄色帯を取得
しかし、入門前2、3年自宅で空手の基礎を叩き込んだのは言うまでもない
この時の演武は14回茨城県大会
息子翔太の組手演武の後、私の準決勝戦だったと記憶する
小学5年で初めての組手大会デビュー
福島県大会
当時、少年部の稽古というのが分からない時代で、一般部の稽古と同じようにやらせていた
当然、デビュー戦ではあったが圧倒的な強さであった
翔太本人は何も言わなかったが相当キツかったと思う
型大会デビュー戦
当時、少年部の組手、型の取り組みも今のレベルほどではない時代だった
そういう中でも一般部レベルで取り組んでた
ほどなくして日立南道場にも少年部開設
翔太は日立南道場に移籍し、私と共に稽古するようになったのだ
中学生になり、サッカー部と空手
小学一年からサッカー少年団で続けており、両方共、手を抜くことを許されなかった
本人はこの時期が一番辛かったと言ってたようだ
https://youtu.be/E1OwrkepRz0
(1996年~2000年の映像)
つづく
当時、日立南道場には少年部がなくO野師範が責任者を務める北道場に入門した
入門3ヶ月にして黄色帯を取得
しかし、入門前2、3年自宅で空手の基礎を叩き込んだのは言うまでもない
この時の演武は14回茨城県大会
息子翔太の組手演武の後、私の準決勝戦だったと記憶する
小学5年で初めての組手大会デビュー
福島県大会
当時、少年部の稽古というのが分からない時代で、一般部の稽古と同じようにやらせていた
当然、デビュー戦ではあったが圧倒的な強さであった
翔太本人は何も言わなかったが相当キツかったと思う
型大会デビュー戦
当時、少年部の組手、型の取り組みも今のレベルほどではない時代だった
そういう中でも一般部レベルで取り組んでた
ほどなくして日立南道場にも少年部開設
翔太は日立南道場に移籍し、私と共に稽古するようになったのだ
中学生になり、サッカー部と空手
小学一年からサッカー少年団で続けており、両方共、手を抜くことを許されなかった
本人はこの時期が一番辛かったと言ってたようだ
https://youtu.be/E1OwrkepRz0
(1996年~2000年の映像)
つづく