今から二十五年前の事。私は当時三十八歳。尖閣諸島上陸計画に参加を許され、欣喜雀躍の心持ちで石垣島に赴いた。

当初は石原慎太郎さんがチャーターした船で西村真悟さんと隊員全員で魚釣島に上陸する計画だった。しかし、公安当局の内偵によりその事が発覚。計画が頓挫した。

海上保安庁は関税法二十条=不開港に人や物を運んではならないとする法律他を盾にとり、もし尖閣諸島に投錨して人を降ろすなら船長以下を逮捕すると言って来た。

仕方なく、西村さんは少数のスタッフのみで別に漁船を仕立て魚釣島に上陸された。しかし、上陸は出来なくともサポート隊員としてなら尖閣諸島海域までは石原さんのチャーター船で連れて行って下さるとの事。喜んで同船させていただいた。

船中では、石原さんを囲んだ二度の会食があった。石垣島出港直後の夕飯時の事である。石原さんはさぞご立腹の様子だった。

折角、同志共々に上陸したかったのにそれが叶わなかった事の悔しさを吐露された。私も同感だった。しばらく重苦しい空気が続いた。

そこで、私はご著者「弟」を出して、「こんな時に恐縮です。家内は裕次郎さんの大ファンなのです。是非サインをお願いします」と言上した。

そうしたら、あの石原さん特有の相好を崩した顔で「いいよ」と仰ったのだった。

このサイン入り著書は家内の宝物である。

翌朝、デッキでも石原さんと一緒になった。白いシャツとサックスブルーの短パンの出で立ちで、痺れるほど格好良かった。海の男そのものだった。

 

※御二方の尊称を「さん」とさせていただきました。 令和四年二月三日記ス