外堀は埋まる!

いくらでも埋められる。

証拠も証人も都合よく準備できる。(スタッフは病院側)

だがら、

故意に誘導することも可能だし、(医師の起承転結のシナリオにのせる)

基本は

患者は生きた検体、ある意味実験台でもある!

それは

以前の循環器では

堂々とお願いとして掲げられていた。

 

これ

病院間でも連携はしている!(介護の世界でも同様)

大きな流れに抗うと

「医療難民化」する恐れが大いにある。

(インフォームドコンセントなど医師のアリバイ作りでしかないのが現実)

 

その点

和田秀樹らの

医療への対峙の仕方の提言は

理想であり、

空論である!とも言える。

(現実は患者側は圧倒的に不利な立場にいる)

ある種

あの竹原慎二も

一時期、

難民化したとも言える現実がある。

 

 

オカエシされた。

それが「放置拷問」という選択!!!

「管」は自分でいれる?

「浣腸」はしない?

 

結局

すべて自分で解決することになる!!

本当に危なかった。

浣腸など

幸運以外に説明がつかない!!!

 

要は

放置しても法的に問題がなければ

その結果が

重篤な結果をもたらしたとしても

医師は、

ある意味想定内で

そういう判断、

措置を患者に選択するということ。

(患者側には自衛の手段はほとんどナイ!)

 

これは

恐ろしい現実!!!

ここに医療の闇がある。

 

本当に

結果として放置された!!これは事実。

病室でレントゲンを撮って

原因は特定できても

それに対する措置をせず、

放置を選択した!(これは隣の発狂した患者と同様の対応)

 

発狂患者と同様なのは

撮ったレントゲンを見せずに

口頭で結果を伝えたこと!(ここも隣の発狂者は指摘していた)

 

レントゲンを見せて説明するように言ったが、

「放置」という選択は不変だった。

 

端的に言えば

容態の変化に放置を選択するなら

素人でもできるし、

入院が「容態の変化」への対応を担保しないなら

自宅で寝ていても同じということになる!

 

「自分で解決する医療」、

これが

北里大学泌尿器科が推進するものであるようだ。