本質には

その根には

川勝スピロ平太と同質のものがある!

ということ。

 

大人である聴衆に向かって

視聴者に向かって

「よいこのみなさん!」と呼びかける飯山、

そこに

政治家としての適性はナイ。

 

ここにある傲慢さは

議員になると

大きく変わる候補者の集合体に属する!

 

 

面白いのは

百田尚樹に

「飯山物語」を描くとすれば

それは

飯山陽をどのように描くか?

と質問すればイイ!!

百田は良い感情は持ってイナイはず。

(それは選挙活動中に変化していったはず)

 

「よいこのみなさん」と呼びかける学者は、

ろくなもんじゃねえ!

それだけは確実に言える。

 

所詮それは

世間知らずの、

学生に講釈をタレルだけの存在でしかナイ!!

 

 

もし飯山に政治センスがあるなら、

黒川・根本と

堂々と渡り合って

質問に応えて

小池百合子との差別化をはかる!

そこで

知識と

度量と

胆力とを見せつけ、

何よりも

自分だけ「厳重警備の小池」を

高々と笑ってみせる!!

それが

保守を掲げる政治家のあるべき姿。

そこに男女の区別はナイ!!

(これは「飯山にはできないこと」であることを示した!党としても同様。政治的度量ナシ!器ナシの狭量。そこに保守を名乗る雅量ナシ!)

 

その意味では

政治的チャンスを

「逃げるだけという愚」でものにできなかった。

(それは党としても同様)

 

つばさの党を援軍にできなかった!

黒川・根本を政治的に利用できなかった!

 

言うだけ番長飯山陽、

むしろ

野党議員こそお似合いかもしれない。(笑)