これは

言論封殺、言論弾圧!!

世の中に

そのイメージをもつ者が多い!

というだけの話。

(実際、そう思わせる事例は多いのだから)

 

この「個人の感性」

「個人の感想」

「オモイの吐露」を否定する動きは

あちら側の監視社会、

言論統制の動きに寄与することになる!

その意味では

この発言こそ恐ろしい。

 

例えば

あの車椅子ワガママ事件も

批判・批評を

個人の基準で誹謗中傷と決めつける!

差別とする!

そういう記事を恐らく炎上目的で掲載する輩もいる。

これは

逆の意味で誹謗中傷でもある。

 

車椅子ワガママ事件の

大半の批判は建設的で

それを

「誹謗中傷・差別」の一言でカタヅケル稚拙さは

あちら側の特徴とも言える。

 

 

大谷翔平の結婚「女子アナでなくて良かった」に鎧塚俊彦さんが意見「あきらかに偏見です!差別です!」?

 

偏見・差別・誹謗中傷、

これは

事を単純化するには便利な言葉!

 

ここにある

思惑こそ

建設的議論・言論を封じ

社会を分断へと導く危惧がある!!

 

障害者への法改正も

ヒジョウニ曖昧な要素があり、

これは

今後、

大きな分断をウム危惧がある。

 

そして

そこにある特別感は、(特別感を醸造していくことになる)

「令和のお犬様」をウム危惧も

同時に内在している!

と言わざるを得ない。

 

そんな流れの中、

一つのイメージを(大衆の見方を)

「偏見」とする考えは

個人の価値観を

逆に

他人に押し付ける

恐ろしいことでもある!

とする

その自覚こそ必要ではないのか?

とすら思う。

(イマ、時代は、ヒジョウニ危ない!!)