芥川賞?

正直、

この賞もどうなのか?

と思う。

 

これ、

作品に深みを感じない!

作者の人間力の限界か?

 

ここにある生きづらさの

コタエは

桐生慧海がだしている。(仮想儀礼)

 

ただ、

堀江はコンビニの仕事を馬鹿にし過ぎている!

その弊害が

その生きづらさの中にもある。

(これも機械と外国人に譲ることが本当に正しいのか?あるべき姿か?は考える必要がある)

 

「私はどこかで、変化を求めていた」?

これを

ひろゆき堀江が餌にする!特に堀江貴文。

(桐生もその意味ではそれで都庁を辞める)

 

白羽と桐生の差はポテンシャル、(主人公の女性コンビニ人間の同居人が白羽)

桐生は都庁のエリート、

白羽は典型的な堀江の餌。

 

 

「全てを、コンビニにとって合理的かどうかで判断していた私」?

(これはある意味コンビニ店員のプロ)

 

「私にはコンビニの声が聞こえる」?

「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」?

「細胞全部がコンビニのために存在している」?

「コンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません」?

(ここは星飛雄馬の野球人形、オズマの野球ロボットを想起した)

 

 

「この手も足も、コンビニのために存在していると思うと~初めて、意味のある生き物に思えた」?

 

主人公は

脱皮して原点回帰する!

原点に戻っていく。

(ただ脱皮する前の自分とは違っている!ここは「いつ恋」のラストの練から音への言葉を思い出す)

 

この女性は

本来、

コンビニ店長に値するスキルをもっている!(管理能力については未知数だが)

少なくとも優秀店員。

そして物語のラストは

コンビニ人間である自分を肯定する。

 

対して白羽は、

ひろゆき堀江の餌になるよりナイ!

(ひろゆき堀江は無責任な言論活動で白羽を大量に創っている!とも言える。特に堀江)

その白羽は

コンビニ人間にも捨てられる。

 

その白羽的生き方に対して、

堀江は働くな!といい、(一定偏差値以下を切り捨てる)

ひろゆきはベーシックインカムで

これを後押しする。(白羽的生き方の追認)

 

 

現実には

コンビ二の仕事は多岐にわたる、

堀江は

コンビニの仕事を馬鹿にしすぎる!!

本来

この女性は生き方を恥じる必要はナイ。

 

ありのままの自己肯定は

多様性というチープな言葉では表現できない!

 

 

そして

白羽的生き方へのコタエは

桐生慧海の中にある。(仮想儀礼)

それは

ひろゆき堀江ではナイ!

 

「夢」からは醒める必要がある。

ベーシックインカムは平凡人の奴隷化!!

 

表題の

「コンビニ人間」という自虐はあてはまらない。

それは立派な社会人!

(本人が望めば正社員であるべき人)

 

「自分らしさの追求・肯定」は

少数者の優遇とも違う!

それは

甘えることとも違う!

 

他人と違ってもイイが

それは

社会性を否定することとも違う!

それは

「与えられた場所で咲く」

という言葉がイチバンしっくりくる。

 

CF「コンビニ人間」(村田沙耶香)