神懸かっていた

確かに

神懸かっていた沢尻エリカ!!

 

その容姿は

役柄と相まって

天使が降臨していた。

 

それが

「1リットルの涙」の沢尻エリ。

(当時タイムリーには観なかった)

 

これを

イマ

ティーバーで観てびっくりした。

 

「べつに」とは対極にある存在!!

だが

むしろ

現実は、

現実の沢尻は

妹の成海璃子役の性格の方が近い!はず。

ただ、

売れる前の時期、

渋谷で

裏のバイトをしていたという話もある。

 

ここで

「伊東純也の事件」を想起する!

伊東純也事件を考えてしまう!

 

この神懸かった沢尻が

事件の前提となっていないか?

ということ。

極論としては。

 

「女性は性善説」

「女性は人格者」

「女性は弱者で美しく心も清い」

 

要は

あの沢尻エリカが標準化されていないか?

ということ。

事件の前提条件として

この

「女性観」が事実として鎮座していないか?

ということ。

 

『著しいバイアスが前提条件としてある!!!』

ということ。

(逆に言えば仁藤夢乃の世界観の「オトコは汚くてキモイ」が前提にある?)

 

これが

「推定無罪」を打ち消している!!!

 

週刊誌による

「私刑」を許してしまっている!!!

 

「善悪混淆」というのが

現実の世の中、

悪の中に善もあり

善の中にも悪がある。

 

少なくとも

一方が匿名で

相手を「私刑」にする現実を許してはナラナイ!!

(これは匿名による誹謗中傷以上の実害をもたらす)

 

「べつに」に象徴されるように

現実の沢尻エリカは

あの役柄とは遠い!!はず。

(多くの世の中に生きる女性も同様のはず)

 

実際

伊東事件も

松本疑惑も

対象の女性は

「べつに」の沢尻に近い存在だと思う。

 

 

「推定無罪」を前面に押し出す流れと、

匿名で

週刊誌に情報を売って示談金を稼ぐビジネス?

それを

逆に否定する流れをツクルことが

イマは

「轍鮒の急」ではないかと考える。

 

特に

週刊誌による「私刑」を許してはナラナイ!!!

これは

裁判所の上位に週刊誌が君臨するのと同じ。

(ここは「推定無罪」の徹底が必要)

 

そして

匿名という(条件を狭く限定しての特例は認めても)

過剰の擁護は(それが伊東事件・松本疑惑等の性加害事件こそ)

逆に事の本質を誤らせる!

(それは少年法の過保護同様の害悪)

 

要は、

沢尻エリカが

神懸かっているのは

あくまで

あのドラマの役柄に過ぎないのだから。

(女性の過剰な美化、過剰な擁護は社会を誤らせるということ)