(北山円通寺からの比叡山)
【終わりに】
京都には比叡山がある。京都盆地のどこにあっても、その姿を望むことができる。けれども、眼にする山容は、それを眺める場所によって異なりを見せる。ましてや、滋賀県の琵琶湖側からは、比良の山並みに紛れ、どれが比叡山なのか見極めるのも難しくなる。私が好きなのは、北山通りや北大路通りから東に見る比叡山なのだが、それも季節やその日の天候によっても、また様相を変えるかのようだ。古今、比叡山は揺るぎなくそこに在るというのに。けれども同時に、「在る」けれども「無い」とも言える。眼に留まらなければ、その人にとって比叡山は「無い」。そして、時には「無かった」ものが眼に飛び込んでくる場合もある。
そんな解釈が過去の出来事にもあてはまるように思う。人が立つ位置によって、その出来事の見え方もずいぶんと違ってくるだろう。だから、本文がどのように読まれても、私は構わないと思っている。むしろ人の眼に留まることで、文の中に登場した人々が幾許かでも蘇ることができるならば、それが彼らへの何よりの鎮魂につながるように思うからだ。
追記
春から続けてきたこの編集の作業を、まさに終わろうとしていた矢先に、長兄からの報せがありました。
母(うめ)が他界しました。享年(行年の方が相応しいのかもしれません)九十三歳です。
(2013年 盛夏)
〈参考及び引用した資料〉
・「飛行第九十戦隊史」(編集者:村井信方 発行:飛行第九十戦隊会)
・飛行第九十戦隊会誌「鵬友」第二号、第五号
・ウィキペディア『特別攻撃隊』の項
※2013年に著した文章に、少しだけ加筆、訂正を加えました。
(終)
